メンヘラとポエム
高校の同級生がしきりに発信している
メンヘラポエムツイートを、
私の友達は笑い者にしました。
私も、友達と一緒になって嘲笑いました。
「飼い犬の写真載せとけばポエムのキモさが薄まるとでも思ってんのかw」
「この子いまTinderハマってるらしいよw高校の時は恋愛とか全然って顔してたのにww」
私は、ポエムを書くメンヘラです。
みんなは、メンヘラが嫌いです。
メンヘラが書くポエムも嫌いです。
私はメンヘラを嘲笑いました。
その子のことを私も友達も嫌っていない、
ほんの出来心。
でも、今でもその時笑い声が
フラッシュバックするのです。
心の弱さや、不健康さ、悲しさ、悩み、そしてこれらを吐露すること。
それが、この社会では「間違っている」とされる。
負け組。ダサい人。キモい人。
「いつでも笑顔で☆」
「ポジティブに生きよう」
元気なことや、前向きであることへの異常なまでの信仰が、
メンヘラたちを差別の対象へと押しやる。
そして「自分は社会的弱者ではない」
という表明をしたいがために、
自分がそう思いたいがために、
メンヘラを指差して笑ってみせる。
私はメンヘラだ。
まだそうハッキリ言えずにいる。
私はまだ、そういう自分を受け入れられずにいる。
でもね。
元気であることがそんなに正しいか?
ポジティブでいつもいることがそんなに大事なのか?
私は、悲しいときは思いきり悲しみたいし、
泣きたいときは我慢せずに泣きたい。
「元気出せよ」なんて言葉に涙を止めさせたくない。
だって悲しいことも、泣くことも、きっと大事だ。
あともうひとつ。
ポエムは、詩は、まったく気持ち悪いものではない。
三角みず紀さんというメンヘラのための詩人みたいな人がいるので引用します。
帆をはって
包丁で指を切った
止まらない血
の向こうの
肉の切れ目の断片
に私
が見えた
確かに私は生きていた
年をとった彼等
には
肯定できない
ものが
君
には肯定できる
(絶対がここにはある。)
いつか二人で猫を飼おう
名前
何てつけようか
どうしようもない僕等
の
どうしようもないこの星
で弱さが強さになる
荒波を利用
して海
へ出る
止まらない血
の向こうの
肉の切れ目の断片
に私
が見えた
確かに私は生きていた
生きていたんだ
三角みず紀『オウバアキル』
今のところセックスくらいしか自分に才能を感じねぇ、だがしかしセックス、セックスには長けている
— めいちゃん (@farb_) 2018年1月4日
最高の友 pic.twitter.com/JqFaioyP8t
— めいちゃん (@farb_) 2018年1月6日