早稲田生って馬鹿ばかりって思ってる君へ

早稲田大学公認イベント企画サークルqoon(クーン)の新歓用ブログです。

言葉が欲しい!~ちょっぴり腐女子がうらやましい

こんにちは。櫻井翔になりたいガールです。

 

先日、私が疑似友情*1を感じている加藤シゲアキさんのことを先輩と話していた時です。

「でもまぁあの小説全然つまらないよね。全然面白くなかった。」と言われました。

いかんせんファンではないので、その小説を読んでおらず、「あーそうですか、」って流したんですよね。*2

 

でも家に帰る道でそのやりとりを思い出してふつふつと怒りがわいてきて。

だって、疑似友情を感じてるわけですから少なくとも彼に好意的な感情を抱いてますし、あまたいるタレントの中でも私にとってちょっと特別な存在なわけです。

それは会話の文脈の中でわかるはずなのに、わざわざ私に2回も繰り返して彼への否定的な評価をぶつけるってことは、わざと私にぶつかってきたんだなって気づいたんです。確信的な悪意じゃないかもだけど、でも、なんとなく思っていても言わないっていうの1対1のコミュニケーションでは優しい選択なんじゃないかと。わざわざぶつかるのには背景がある。

 

いるよね、人が好きだと表明してるものをわざわざ貶しに来て帰っていく人。

 

私もいるってのは話に聞いていたんです。だから絶対学校や職場でジャニオタであることをカミングアウト(わざとこの言葉を使っています)しない人って周りにも多い。

ただ私はあんまり実感なくて、うーん...って思ってたんですけど、先日はたと気づきました。しょっちゅう足を踏まれ過ぎて痛いって思えなかったんだって。

みんな生きてたら当たり前に人にぶつかられて歩いてるんだと思ってたけど、もしかして女だから新宿駅でぶつかられてたのかな、、、って気づいてしまったみたいな。

 

そしてここまで考えたあと、私もぶつかりに行ってたかもなとも思った。

高橋一生とか綾野剛とか竹内涼真とか一時にぶわーーってテレビで人気でる「イケメン俳優」苦手だったんだよね。そういうの好きな人にぶつかり稽古してた。これは「イケメンにキャーキャーする女」へのミソジニーだとも思うけど。(そしてジャニオタとしての自分がまんま「イケメンにキャーキャーする女」であるという皮肉な構造)

 

本題はこの先。ここまでエピソード。ただ、「オタク差別」の話をしたいわけではないことを頭に入れておいてください。

 

ジャニオタってぶつかられることが多いカテゴリーだと思う。(※経験則)

 

なのに自称が「ジャニオタ」なのがなんだか切なくなった。「ジャニオタ」って経験もスタンスも百人百通りであんまり括る意味がない総称なのだけど、こと”わざわざぶつかられる経験”に関しては共通の痛みの経験を有するような気がする(※経験則)

 

だって「オタク」は元々男性のアニメや漫画が好きな人を貶めるために使われたホモソーシャルな社会で、優位な男性から男性規範を外れた男性に向けてつけられた蔑称。

それを(完全にではないものの)queerではないが、アイデンティティとしてむしろ「オタク」と名乗り始め、その名乗りのおかげで「オタク」が単に「なにか物事に熱狂・熱中し詳しい人」くらいの意味中立的な言葉になりつつあると思う。

まだまだ、男性社会のなかでマスキュリニティが足りない男性への蔑称という側面も犯罪報道などでは強いと感じるけれど。

 

そんな「オタク」にカテゴリー(っていうか会社)の名前をつけて「ジャニオタ」な訳で。

ジャニオタは多くが女性で(男性がジャニーズを好きというしんどさは想像しかできないが)、ジャニオタの痛みは「オタク」の歴史性からくる痛みに加えて、女性が「イケメン」を好きでいることに伴う痛み*3や分断されてきた女同士が連帯する難しさに由来する痛み*4がある。

 

私がアイデンティティとして「ジャニオタ」を名乗る時、そこにあるのは単にそのタレントが好きだという誇らしさだけでない。その名乗りについて向けられるあらゆる視線を受け入れた上で「だからなんだっていうんだ」という思いも込めて名乗っている。

 

「ジャニオタ」は「ジャニオタ」にしか経験し得ない何かがある気がしてたまらないのだ。

だからこそ「ジャニオタ」という名乗りの座りが悪い。「オタク」というワードはホモソーシャルな社会が生んだ産物だと思うが、「ジャニオタ」の生き難さとホモソーシャルな社会はつながっているように思う。だから、私たち「ジャニオタ」に言葉があれば、、、!!!と思ったのだ。言葉が欲しい。

 

名乗る言葉が。

 

 

そう思った時にふと、「腐女子」を思い出した。

彼女らは、かなり自虐的な名乗りで自らの嗜好にともなう痛みを連帯する言葉を持っていた。なんかうらやましいと思った。

 

 

 

「オタク差別」はかなり慎重に取り扱わなければならない言葉だから(私はあんまりその考え方に賛同はしてない)、それについて言いたかったわけじゃない。

だから「ジャニオタ」の環境改善のためにアイデンティティポリティックスをやりたいわけでも何でもない。

暇だったからぼんやり考えていたらコロコロとこんなところまで思考が転がって、せっかくだから言葉にしてみた程度のことだ。頭がわるいので、小さいことを大きな概念を使って説明しちゃう。

そんでもって私が応援してるグループがファンネーム*5を持たないグループ*6

だから、余計にこういうことを考えちゃうのかもね。

 

ってことで、長々と失礼しました。

おあとがよろしいようで。

 

 

 

傘をもたない蟻たちは

傘をもたない蟻たちは

 

 

 

*1:疑似恋愛がありえるんだから疑似友情もあり得るに決まってるだろ

*2:お酒についての愚かな行動についての報道はともかくとして

*3:「現実見なよ」や「そんなことしてるからモテないんだよ」。あるいは男性を性的客体として見ていることに男性として抗議してくる人にもあったことがある

*4:というか私は仲間と仲良くやっているのだが、「女の敵は女」って話を勝手に当てはめて「大変そうだね笑」みたいな輩も多い。同担拒否やマウンティングは現実にあるようだけど。

*5:タレントによる公式のファンの呼び名。NEWSならパーナ、関ジャニならエイター

*6:あるっちゃああるけど積極的に本人たちが呼ばないのであんまりアイデンティティにならない