早稲田生って馬鹿ばかりって思ってる君へ

早稲田大学公認イベント企画サークルqoon(クーン)の新歓用ブログです。

私たちのホモネタ論(後半)

qoonwaseda.hatenablog.com

はこちら

 

f:id:qoonwaseda:20180926170659j:plain

【事例2】
サークルの仲良し7人組での飲み会。あなたは全員の事を「異性愛者」だと勝手に思っている。
日頃から仲良しの女性Aと女性Bは、肩を寄せ合い二人で楽しそうに話し、別の所では、同じように仲良しの男性Aと男性Bが肩を寄せ合って話している。
男性Cは、男性Aと男性Bだけを見て「ホモかよ!」と言い放ち、場は笑いに包まれた。

 

「男尊女卑」強化のためのホモネタ

春藤
「女性よりも男性の方がスキンシップなどをしている時にネタにされることが多いと思う」「男性アイドルがじゃれているところを指して腐女子向けの営業だなどと言われているのを見るとモヤモヤする」と言った意見が届いています。

 

なとせ
男性のほうがネタにされやすいと思う。この事例あるあるよね、よく見るーって感じ。

 

太田
あるある。

 

春藤
なとせさんは冒頭のところで学生の時に「レズかよ」と言われてたという話をされていましたが、女性同士より圧倒的に男性同士の方がネタにされることが多いと感じますか?

 

なとせ
うん!男の人のほうがスキンシップを咎められる?ことが多いと思う。それって何か~何が原因なの?男女差別?男女格差?女の子同士がいちゃいちゃしていても許容範囲みたいな雰囲気があるのに男の人同士だといろいろ言われるのはなんでなんだろうね。

 

春藤
いわゆる「ホモソーシャリティ」みたいなものが背景にあると思います。

 

森山
ホモソーシャリティ」っていうのは、同性同士の親密な関係性が限りなく同性愛の関係に近似して行って、「でもあれ(同性愛)じゃないんだよね」というエクスキューズを繰り返すことによって、男性が上であるっていう権力構造を維持するものなんです。この事例の背景にあるのは間違いなく男尊女卑でしょうね。

 

この時、どうすればいい?

春藤
「すごく大学生あるある」「なんでホモは茶化す対象になるんだろう」「『ホモ』という言葉を無差別的なニュアンスで笑いの対象とする無意識な共通認識がある気がする」という意見が出ています。

 

太田
こういう時にみんなが何を言っていいのかが気になる。あるあるって言ってるぐらいあるんだったら今の人はどう対応するんだろうっていう風に思う。僕とかだったらさ、もう「はいそれ差別でーす」(大きく手を上げながら)とか冗談ぽく言うけど。

 

なとせ
SOGIハラ~! (どんだけ~のリズムで)

 

森山
「誰に向かって言ってんだ」くらい言うよね。

 

太田
でも僕らみたいに当事者であることをオープンにしてる人がいない場で、みんなどういう会話してんだろうっていうのが気になる。

 

森山
でも確かに学生とかからは「そういう発言を聞いて何も言えなくてつらかった、なんか言えたんじゃないか」みたいな意見が来る。


なとせ
春藤ちゃんは?

 

春藤
うちのサークルで話あったときに出たのは、言いたいけど自分がいわゆる「意識高い系~~???」みたいに揶揄されるのは嫌で、言うには勇気がいる…という意見がでましたね。

 

森山
すごく厳しい言い方をすれば、「意識高い系」と言われることが嫌だな、と思って引けるのは、あなたがマジョリティだからでしょうっていう、話にもなってきて。

マイノリティはそこで引いて終わるだけじゃなくて傷つくんですよ。だからそこは言ってよ、なんでもいいから頑張って言ってよ。そっちにエンパワーメントしたいという気持ちがある。

 

太田
んん~~~わかるけど飲み会がしけるのも嫌なんだよな~!

 

なとせ
そう、うぎゃー!

 

森山
別にいいですよ。

 

なとせ
それは森山さんが強いからですよ。

 

森山
「面白くないの上等」って思ってないと戦えないっすよ。

 

太田
戦うっていう感覚ないですけどね、あんまり。どう対話していくかって言う。

戦うって結局あっちとこっちでどっちに来るか、「あんたこっち来なさいよ」っていう戦いになっちゃうから、僕はそういう二項対立は構造として好きではない。

時間はかかってしまうし、手っ取り早くはないんだけど、対話するために好戦的にならないということは意識しているかなあ。

 

なとせ&森山
なるほどね

 

太田
でもくそだるいノンケとかっているじゃん!

くそだるいなって思うけど、「はい、アムネスティインターナショナルに電話しま~す」(腕を高くあげながら)って言ったりする(笑)

 

(会場から凄まじい笑いが)

 

で、それでその場はいっかい盛り上がる。

でもその後で「やっぱああいうのよくないのかな」って言った人は考えるかもしれないし、実際に、僕の周りの態度っていうものもめっちゃ変わったんだよね。そういうのを続けることで。


ホモネタの未来

春藤
今後ホモネタってどうなってくと思いますか?完全になくなるのか、変化して生き残っていくのか、「考える機会を与える」ものとして存在し続けるのか。

 

「考えるきっかけになったからいいじゃん」?

森山
今までもずいぶん変わってきていると思う。そもそもすごく差別的な表現とかは減ってきていると思うし、自虐的でキレキレな表現もうそろそろ出てくるんだろうなって思ってる。希望的な観測ではあるけど。

 

ただ、「こりゃだめだな」って思ったものが1個あって。
差別的な表現が出てくると、必ず「それでも考えるきっかけになったからいいじゃん」みたいな意見が言われるよね。確かに、1990年代とかにめちゃくちゃ同性愛差別的な同性愛ドラマが放送されてたときも、そりゃ山口達也の裸を見たくてゲイ達は一生懸命、金曜日の夜に早く家に帰ったんですよ。

 

(太田だけ大笑い)

 

なとせ
わかんないわかんない!

 

森山
帰ったんだけど、じゃあ、あれで良かったのかといえば、そうじゃない。
「考えるきっかけになったから良かった」っていうタイプの正当化でしか価値を見いだせない表現はどんどん消えていくし、消えていった方が表現は面白くなる、ということは言っていかないとな、と思いましたね。


「笑い」を橋渡しに

なとせ
今の話を聞いてて思ったのは「 LGBT」 って言葉自体がそうだし、「考えましょう」「知ってみましょう」というテイストのイベント・機会・風潮っていうのはまだまだあると思うけどもしかしたら、それはもう遅いのかもしれない。一緒にやっていかなくちゃいけないのは、「その後、じゃあどうするの」っていうことだと思うから。

 

ホモネタに限らないけど「笑い」というものが一つのスパイスみたいになって欲しいと思う。「みんな分かり会いましょう」「理解しましょう」「ALLY !!」みたいなところから一歩進んで、「じゃあ問題はわかったけど、ここはどうすればいいの」とか「自分の中での差別意識があるのはどう折り合いつけたらいい?」とかそういうことがみんなの前で話せるようになる時まで「笑い」はすごく良い橋渡しになると思う。


「そういうので笑うの、もういいよね」をみんなで作っていく

太田
色々思うところはあります。さっき「笑い」って「笑ってしまうものだよね」という話をしましたけど、「笑ってしまう」という感情的なもの、衝動的なもののベースには、みんなの今の価値観というものがあって、その先で「笑ってしまう」って起きるので、どっちが先か、ぐるぐる回るものだと思うんですよね。

 

だから、今日ここに来てるみんなが、「そういうので笑うの、もういいよね」っていう価値観を持って、今後いろんな人と飲み会に行ったり、笑い話をしたりしていく中で、新しいホモネタが、ホモネタって言葉がもなくなるのかもしれないけど、「どういったように取り上げられていくのか」っていうことは、みんなによって作られていくものだと思う。

 

人にはたくさんの側面があって、きっとそのどこかに共感できるところがあるはず

太田
さっきあった「気持ち悪いって思っちゃう人もいるわけじゃないですか」っていうことに関して言いたいことがあって。

本当に僕はその通りだと思っています。気持ち悪いとか思っちゃうことはあるじゃん、誰だって。でもそういうことを、今ここにきている人が、僕らとかに思っているとすれば、伝えておきたいのは、僕は「ゲイなだけ」の人ではない、ということなんです。


僕は「ゲイなだけ」ではないんです。例えば、バレーボールが好きだったり、ダンスが好きだったり、編集という仕事をしていたり。その1つ1つでいろんな人との絆があったり熱量があったりして。

 

「俺、正直ホモって気持ち悪いな」ってあなたが思っていたとしても、実際に「ホモ」と言われている人にはそれ以外にもたくさんの側面があって、「俺もきっとその中のどこかには共感できるんだろうな」ということだけは知っておいて欲しいです。

人は、ただ1つのタグで決められる存在じゃないじゃん?

 

なとせ
泣けるぅ‥

 

太田
(本当に)泣いてる?

 

森山
小さい笑いを取りにいかなくていいんですよ。

 

なとせ
小さいとか言われたんだけど!!!

 

私見ですが、本当に泣いていたと思います)

 

質疑応答

f:id:qoonwaseda:20180926170716j:plain


「太田さんからピー・エス・エスの動画を作る時に『こういう人から批判されるだろう』とか『嫌がられるだろう』とか想定していたという話がありましたが、具体的にどういう人たちを想定していましたか?それは非当事者なのか当事者なのかそのあたりについてお聞きしたいです」

『ピー・エスエス』の制作秘話

太田
細かくは色々あります。例えば、一つ挙げるとすると、冒頭の場面で僕らは「日本では同性婚ができません。もうさ、つまらなくない~?」と言っているんですけど、「つまんない」っていう表現自体は、同性婚があるべきかどうかっていう議論を真剣にしている人からしたら失礼になりかねないな、と思っていて。

 

「この表現をするとこういう人が怒るよね」とか「怒るだけじゃなくて失礼じゃない?」とか。「それでも、こう表現したいの?」ということを本当に長々と議論していました。

 


「差別や偏見を無くしていこうという流れの中で、それをしている人と戦うという最近の風潮には違和感を覚える。差別や偏見を持っている人も時代の流れによって自己変容を求められていて、それなりの葛藤もあると思う。問題を共に考えていく仲間にしなくちゃいけないのなら今のそういった雰囲気では問題があると思う。」

 

「差別をしちゃう構造」を治療したい

なとせ
ゆくゆくは一緒に戦っていく仲間にならないといけない、というところがすごくいいと思った。
「差別している人」じゃなくて「差別をしちゃう社会の構造」が悪いと私は思っている。でも、社会に含まれているのは人だから、人と社会の両方にも病理があるのかなって。
だからどっちにも治療法が必要だと思うだけど、できれば 社会の方の治療をしていきたいかなあ。

 

対話し続けることが大事

太田
(なとせと)ほぼ一緒なんですけど、
システムと個人があった時に、システムに原因があると基本的に僕は思っています。
でも、とはいえ個人もシステムの中で生きているという面で、個人が集まってシステムを動かしていくわけだから、個人に原因がないとも言えないよね、という感じ。鶏が先か卵が先かみたいな話になっちゃう。


で、僕はそんな感じなんで少なくとも言えることは、「個人が絶対に悪い」とは言えないということで、対話をすることが一番大事だと思う。

攻撃すると、コミュニケーションが続かなくなって、対話ができなくなってしまうと思うんだよね。僕はさっきみたいに「はい、アムネスティインターナショナルに電話しま~す!」みたいに楽しい会話の中でどうやってコミュニケーションを続けていくかが大事だと思う。

 

とはいえ会話にならない人っているじゃないですか、そこがすごく問題なんですよ。そういう人を相手に「対話が大事ですよね」「みんな仲間になりましょう」みたいなのはやっぱりちょっと限界があるよね~。

 

「諦める」ことも場合によっては必要

森山
同じようなことと、違うこととを思っています。
1つには、マジョリティの側も社会の刷り込みによってある意味「(異性愛が普通だ、だとかを)思い込まされている」というのは事実だと思います。

だけど、だから戦闘態勢で来られるのは不当だ、と言われると、それは随分マジョリティに甘い話にしかならないのではという気もしなくはなくて。そこまでこっちから宥和ムードを出してあげなければいけないのかな、という気持ちもあります。

 

今、太田さんが言ったように、基本的には私もコミュニケーションができるのであればうまいこと敵対的にならないようにしたいって思っています。敵になるんじゃなくてなるべく協調しながらコミュニケーションをして、お互いを変えていくみたいな事も素晴らしいと思います。

けど、そういう方法が通じない人については諦めるっていうことも結構大事なのかなって思っていて。世の中を良くするっていうのは世の中のみんなを聖人君子にすることではないので。

 

「一生懸命相手に聞いてもらわなきゃって思うことをやめる」っていう決断をすることも場合によっては必要なのかなって。単純に個人を批判する、「あなたは散々そういうことを言ってんだからあんたは間違ってんだよ」というやり方を一概に否定する必要はないし、残しておいた方がむしろいいのかなという気もしなくはないです。


場合によると思うんですよ。無理に敵対したいわけではないんだけど、敵対せざるを得ない時に、「自分がいい人である」ことに縛られてそれを断念しちゃうと、より事態が悪くなるということもある。

 

最後に

森山
大変面白い議論をできたなと思っています。
2つ残っている論点があってそれをみんなで共有したいなと思います。
1つは最初の方にちょっとだけ種をまいておいたんですけど、ゲイが自分のことを「ババア」と呼んで自虐するみたいな話。これって自分以外のカテゴリーの人についての言葉を流用してるんですよね。

 

「ババア」っていうのは端的に言うと女性差別なわけですよね。こういうタイプの自虐っていうのもあってこれは別個に考えなければいけないなと思います。今回は完全に自分を表すカテゴリー語を自分が使うことについての是非とかを話し合っているけど、他人に関するカテゴリー語を使うこともよくあるので。

 

もう一点は、今日は「ホモネタ」だったんですけど多分「トランスネタ」もあって。
これはまた別個に考えなくちゃいけない。似ているところと違うところがあって、例えば「元男」「元女」みたいな言葉がどういう意味を持つのかっていうのはまた別に考えなくてはいけないと思う。その点も含ませながらさらにいろいろと考えていただけたら嬉しいなと思います。
今日は楽しかったです。ありがとうございました。

 

なとせ
私は個人的にはお笑いについてすごく考える機会が最近多くて。人に「笑われちゃう」のではなくて、「笑わせにいきたい」と私は思っていて。だから笑わせたい時にどうすればいいんだろうみたいなことを本当に日々思っていたところで、いろんな切り返しというかネタとかを色々皆さんと共有できてよかったです。

 

今日ここに集まってくれた人が飲み会に行ってそういうネタをやるわけではないと思うんだけど、何かあった時にクスってなっちゃうとか、笑うことって、明日を生きていくパワーに絶対なれると思うんですよ。

 

私は笑いのパワーみたいなことを信じているよってことを伝えておきたいです。今日はみんなとそれを共有できたことがすごく良かったです。とてもいい時間だったなと思います。本当にありがとうございました。

 

太田
それ(笑いのパワー)に関しては僕も本当にそう思っていて。本当に「笑い」ってすごい好きだし、大事にしているので、「笑ってしまう」ことまでは否定しないでほしいなと思っています。

自分の笑っちゃった時の気持ちをすぐに否定しないで欲しいなって思ってます。
ただそれが終わった帰り道とか家に帰る時に、「でもあれで笑ってる自分どうなのかな」とか、そんな内省を、それこそ「ホモネタ」だけじゃなくて色んなことでみんなが「あれってよかったんだっけ」みたいな風に思っていくことは、すごく嬉しいなと思います。「笑い」というものはすごく暴力的にもなり得るので。

 

さっきも言ったことだけど本当に今日来てくれている人々がいるということが、すごく希望だと思います。皆さんが今日を機にこれからも色々ホモネタに限らず、いろんなことを考えて、いろんなことをやっていてほしいなと思います。

ありがとうございました!!

 

 

 

追記

WASEDA LGBT ALLY WEEKの開催にあたり、協力してくださった関係者の皆様に心より感謝申し上げます。