呪いをかけたあなたへ
逃げ恥ですっかりおなじみとなった「呪い」
念の為説明すると「呪い」とは、常識とか固定観念とか「あなたは○○なのよ」と言った言葉などにより、それが正しいと思い込んで動けなくなることです。
私はこの夏、いくつかの呪いを解きました。
呪いには、魔法です。
呪いをかける人間がいるなら、魔法をかけて呪いを解く人間もいる。
私にとって呪いが解けることは、身体が軽くなることです。解放です。素敵なことです。好きです。
でも、少し寂しいのです。
呪いは、呪いをかけてきた人間の血です。その人間がかけられてきたいくつもの呪いに苦しんだ末に吐き出された血が呪いとなって私を縛るのです。
私は長年こびりついたその血に、愛着が湧いているのです。
だって、その血を浴びせた人間、私に呪いをかけた人が私の大切な人でもあったから。
呪いにかかり続けることは、その人の痛みや苦しみを共有しているかのような気持ちになります。
あなたと苦しみを分かち合うなんて、なんか「愛」っぽいでしょ?
あなたは言いました。
「私だって毎日頭が痛い。そんなに特別なことじゃない。(だから頭が痛いからって苦しそうにしないで)」
「あなたは体調が悪くなれていい。(私はこんなに頑張ってるのに誰からも心配されない)私だって倒れるくらいひ弱だったら認められるのかな…」
あなたの言葉を信じてました。
「責任や義務を果たさないと、権利は主張できないでしょ。だから僕はやりたいことをするためにやらなきゃいけないことを他人から文句をつけられないような完璧なクオリティでやってた。」
そうだと思ってました。
「人生で好きになる人は1人十分。たった一人と愛し合うの。浮気や不倫はもちろん、複数の人を好きになるなんてありえない。」
これらは私がここ最近サヨナラした呪いです。
体調の悪い仲間が、権利は義務の裏返しじゃないと教えてくれる学問が、ロマンティック・ラブ・イデオロギーや一夫一妻が生まれる歴史が、華麗に私の呪いを解きました。
私はいま、自由です。
解放されています。たぶん。
体調の悪い自分を、怠け、頑張る人を覆い隠す悪い人ではなく、そういう自分として肯定するのも悪くないかなと思えてます。
ただ、洗い流れ落ちた彼ら・彼女らの血が寂しい。切ない。
呪いをかけたあなたは、今日も血を吐き、人に呪いをかけて生きていますか?
それとも、誰かがあなたを自由にしましたか?
あなたの呪いを解きに魔法をかけに行くことは今は叶いません。
どうか、あなたが私にかけた呪いに自分で苦しまないことをお祈りしてます。心から。
そして、私があなたにかけたであろう呪いからは自由になりましたか?
私は呪いがなくなることで、自分の中からあなたがいなくなりそうで本当に寂しいです。
それでも私はあなたをきちんと思い出にして、あなたから自由になって生きていこうと思います。
だから、いらぬ心配、思い上がりだとわかっているけど、私から自由になってね。
呪いをかけた人へのお手紙でした。
この夏、呪いを解いた人が読んだらちょっと面白いかなと思ってブログに書きました。