#春から早稲田 で検索かけて同じ学部学科の人をフォローしようとしている君に告ぐ。
この記事を読んでくれているのは誰だろう。
元々qoonのアカウントをフォローしていた人は勿論いるはずだ。(感謝申し上げます)
qoon関係者の人も当然そこに含まれているだろう。(いつもお世話になっております)
しかしそこには、「同じ学部学科の人いないかな~」と #春から早稲田 で検索をかけたら、この全く求めていないブログが出てきてしまったという同情に値する新入生諸君も存在しているに違いない。
このブログのリンクをタップしたのも何かの縁でしょう、大した長さではありません。最後までお付き合いしていただけると幸いです。途中下車はおすすめできません(激寒)
ところで
そんな諸君が #春から早稲田 で検索をかけた理由は一体なんだろうか。
「いや前の段落に『同じ学部学科の人いないかな~』と、と自分で書いてるやんけアホなのかこいつ」と
心の中で毒づいたせっかちでロックな君、まあまあ話は最後まで聞き給え(補助動詞 ハ行4段活用 命令形 尊敬)
私が聞いているのはそれより一歩前の話である。君はどうして「同じ学部学科の人」を探しているのだろうか。「(事前に)仲間を見つけたい」「(事前に)友達が欲しい」etc. あたりが主な動機だろうか。
ではさらに掘り下げて、君たちはどうして「(事前に)仲間を見つけたい」「(事前に)友達が欲しい」と思ったのだろうか。
そこにあるのはどういった感情なのだろうか。
私の場合、これは不安であった。
当然、このブログを読んでいる人々はありえんダイバーシティみが深いはずなのでもっと別の感情がその行動の根っこのある人もいるであろう。
もっとポジティブな感情から #春から早稲田 検索を行った人も一定数いるはずである。
しかし、これは私の完全なる独断と偏見、なんのデータも引用もないが、ネガティブな感情から#春から早稲田 検索を行った人、結構多いのではないだろうか。
「入学式でぼっちなんて辛い」
「1人でいるのは不安」
「周りにおいて行かれたくない」
こんな感じの不安。というより一年前の私の不安。
そうしてそれらの不安に駆られた君たちはツイッターをぽちぽちし、友達候補をネット上で選抜するのだ。(約4割の大学生が入学前にSNSを使って友達をつくるそうな)
しばらくネットの海を航海していると君はこんなツイートを見つけるだろう。
「○○学部全体のグループLINEを作ったので入りたい人いたら連絡下さ~い♪」
そして君はこうリプライを送るに違いない、
「突然リプしてごめんなさい(・_・;) 僕も同じ学部なのでグループラインに入れてもらってもいいですか…??」
ああああああああああああああ!!!!!!!!
突然すいません。持病の思い出死にたい病の症状が出てきてしまいました。ちなみに上のリプライは私のツイッターの原文引用です。もうツイ消ししましたけど。
こうして君たちは喰えもしない学部グループラインへの入会を果たし、
「とりあえず置いて行かれてはいない」というインスタントの安心感を入手し、ほっと胸をなでおろすのである。
しかしこの安心感、果たして手放しで喜んでいいものなのだろうか。
そもそも君たち、というより私はグループラインに入ることに、加えてツイッターで同じ学部学科の人をフォローすることに、どうして安心感を見出したのだろうか。
人は繋がっていたい生き物である、と どこかの偉そうな教授が言っていた。
誰とも繋がっていない状態では人は宙ぶらりんになってしまう、真空に放り出されてしまう。そこで誰かと繋がっていることで、放り出されずに一定空間に留まることが可能になる。その誰かとの距離から相対的に「自分」の「輪郭」が明瞭になる。それゆえ、多くの人間と繋がれば繋がるほど、自分の位置を決定する糸が増え、位置は安定する。らしい。
ラッコって寝るときに流されないように海藻つかんだり仲間のラッコの手を握ったりするそうなんです。ラッコ可愛い!
宙ぶらりんになるの嫌じゃないですか、自分がどこにいるかわからないの怖いじゃないですか。それを解消するために人間は繋がっていくそうです。人間もラッコみたいなもんだっていう話らしいです。その教授曰く。人間可愛い?
ほとんどの新入生がそれまで構築してきた人間関係とはまた別の人間関係を大学では構築し直さなくてはいけません。高校時代は隣のラッコと手を繋いで繋がっていれたところを、その手を放し、また別のラッコを見つけて流されないように手を繋がなくてはいけません。
この「手を繋ぐラッコ探し」の作業が大学入学前においては
#春から早稲田 であり
「突然リプしてごめんなさい(・_・;) 僕も同じ学部なのでグループラインに入れてもらってもいいですか…??」 なのである。
繋がると安心しますよね!でも繋がった相手がどうしようもない奴らだったらどうしますか?その手をちゃんと振り切れますか?自分の泳ぎたい方向に泳いで行けますか?
手を繋ぐことを批判したい訳ではありません。ただ手を繋いでいることは人間生活の必須条件じゃないと私は思うのです。宙ぶらりんになることを恐れて無理やり手を繋ぐ相手を選んで、それで自分が行きたくない方向へと引っ張られていったんじゃしんどすぎませんか。
とどのつまり、何が言いたいかというとこの時期に友達がいなかったとしてもなにも問題ないと思います。手を繋がずとも、海藻に体に巻き付けずとも生きていけるラッコになればいいのです。そしてそうしているうちにきっと同じようなラッコが近づいてくるでしょう。その気が合いそうなラッコと手を繋げばいいいんです。
なんか説教臭いですね。気色が悪いですね。言いたいことがまとまりませんね。ですます調とである調の統一すらできないくらい今日は頭が回っていないようです。これ以上書いていっても着地点わからないまま終わりそうなので今日はこの辺で不時着したいと思います。
まとまりのない文章だったのでとりあえず僕の推しメンのブログのリンク張って今日はお暇させていただきます。最後まで読んでいただきありがとうございました。